感想文

久々に読書感想文です。

震災後比較的早い段階でそれについて書かれた小説で直木賞候補になったのは知っていましたが、次から次へと読みたい本が出てくるので忘れていたのを何かの拍子に思い出しAmazonしてみました。

 

DJアークなる人物の深夜放送開始と共にあちこちのリスナーからメッセージや電話中継が入ります。自己紹介を交えながらリクエストなどもかけつつ進行する中、どうやら東北の沿岸地域で津波に流されて高い木のてっぺんに引っかかった人が放送しているようだと分かるのですが、想像だけが唯一のネットワークで聞こえる人にしか聞こえないというのはどんな状況なのかもやもやしたまま第一章は終わり。

 

第二章は支援物資を運んだ帰りの車内で小説家S氏の視点になっています。一年後くらい?

そこでどうやらこれはいとうせいこうさんの実体験をもとに描かれているのではないかと気づきました。切ってあるはずのラジオから不明瞭ながら音楽と誰かの語りが聞こえるという。

複数の避難所で噂を聞いた木の上の人と結び付け亡くなった人の声をどうすれば聴けるのかというS氏の話から、同乗している若いボランティア仲間の議論は部外者が被災し身近な人を亡くした当事者とどう関わっていっていいのかそれぞれの想いへと続きます。

一見そこらのイカれたあんちゃんのような彼らの実は極めて真摯な気持ちは理解しつつ、年の功とはシンプルさなのかと自分を振り返ってみたり、難しい事考えるには既に脳みそが退化しているのかと思ってみたり。

 

第三章以降でこれは亡くなった人々を結ぶ声なのだと分かってくるとどうしようもなく切なく悲しく苦しく、まとめて弔っては何もなかったかのような顔で次に進むのではなく死者の声を引きずったままいつまでも悲しみと一緒に生きるのもまたこの国本来のありかたではないか。想像こそ亡き他者の気持ちへ思いを馳せる唯一の道なのだとのテーマが響きます。

 

日を経て、といってもそもそも時間の概念が希薄な中アークの意識が徐々に薄らぐあたりからリスナー達の声が放送にシンクロしてゆき、向こう側へ逝く人残る人達の声は、生き残った奥さんと子供の声を聞きたいと切望するアークの想像への背中を押します。

そして彼の声が聞こえなくなった後に残った人々の応援と喜びと拍手。

かぎかっこの羅列だけで構成されたラスト数ページは向こうとこちらを結ぶ多くの人の声を余韻として残し実に効果的で、辛く悲しいお話にようやく救いが訪れあたくしはラーメン食べながらただ泣いていたんであります。