銅像

朝晩の気温差が大きすぎて、厚いんだか寒いんだか分からなくなっている老体であります 

 

五代目古今亭志ん生が文部大臣賞を受賞した時「お上もなかなか粋なもんだねえ」と言ったとか。

それもそのはずで受賞対象となった「お直し」という噺は廓噺の中でも特にめちゃくちゃで、大店で旦那の厚意で所帯を持たせてもらった女郎と牛太郎が不義理して食い詰めた挙句羅生門河岸という魔窟のような場所に名ばかりの店を出し、せっかく堅気になった女房をまたぞろ出そうという、落語だから笑ってられるけどよく考えてみると悲惨極まりないものだからなんであります。

しかしあえてこれをぶつけた志ん生のシャレのきつさと、ダメ人間への諦めをあえて笑い飛ばす噺の世界を当時の文部官僚が理解していたかはどうもあたくし疑問でして?

役人の建前論から言えばまさに真逆の世界観ですからね~、すでに大看板だった志ん生の名前に負けただけなんじゃないかと。

 

 武漢肺炎で亡くなった志村けんさんの功績を称える銅像が立つそうです。

それはそれでいいんですが、先ほどの件と似たような違和感を感じるんであります。

だってね

 

あの人のギャグってのは例えば変なおじさんは要するに変態だし、バカ殿はセクハラ大好きだし、顕彰とかしたがる類の人達からしたらおよそ価値観のかけ離れたもんじゃないすか。

「八時だよ全員集合」なんてワースト番組とPTAが目の敵にしてたくらいですもんね。

 

芸よりも頭のよさや余技で売る今どきのお笑い芸人と違い笑われる者の側として道化に徹した昔気質のコメディアンであった志村さんからすれば、何でもかんでもええ話に持っていきたがる昨今の風潮をあっちの世界からそれこそ笑ってるような気がしてならないんであります。