足して二で割れたらと想う

実に困ったことに相変わらずストーカー事件が多いんであります。

恋愛感情は一部例外を除けば先ず一方的なものから始まるわけで、「想いを募らせる」なんて文学的表現に「一方的に」がつくとそれが犯行の動機になっちまうのはどういうかとなのかと。 

 ♫ 夜ごと~ 募る想いに 胸を~熱くした日々 か~ら ♫ 竹内まりや「もう一度」

 これなんかきれいでしょ、切ないですよね~。 なのになんであんなことになっちゃうんでしょうか?

 先日聞いた話にこんなのがありました。。

現代の特に都会というのは例えば夜中の二時にいなり寿司が食べたくなった場合、コンビニへ買いに行けばすぐに食べられます。

しかしコンビニが無かった時代であれば、先ずごはん炊いて酢飯を作りお揚げを煮て詰めないと食べられず、その時間に手間暇かけてそこまでするかというとまずしません。で、結果あきらめると。

ことほどさように欲して手に入らないののボーダーラインがもの凄く低くなってる中にあって、唯一思いのままにならないのが人の心であるという。想いを遂げられないという事に耐性が無いゆえに、欲する対象への不満となって爆発してしまうのではないかと。

 

若者の都心回帰が進んでるそうです。

中地下鉄網の発達でどこにでも電車で行かれ、単身者向けの店舗や商品が充実し職場に近い都心部は生活至便で、わざわざ郊外から通う意味がないと。拍車をかけてるのは車離れってわけね。

でも家賃が高いんじゃ?って、そこがポイントらしいっすよ。

 

断捨離ばやりで余分なものを置かないシンプルなライフスタイルゆえに四畳半程度の狭い部屋でも十分なんだそうで、だから家賃も安く済むんですと。

テレビ、ビデオ、コンポなんざスマホ一個で済み、冷蔵庫代わりは近所のコンビニ。びっくりするのはトイレがむき出しの部屋まであるという。これみんなあたしらの時代三種の神器みたいなもんでしたもんね。

そしてこれら全てに共通する前提は部屋に人を呼ぶという概念が無いことなんだそうです。

 

結婚はおろか交際相手すら要らないという人間も増えている反面、一方的に想いを募らせた挙句刃傷沙汰に及ぶ人間がいる時代。

足して二で割るってできないっすかね~?